常識とは

人間は一人ひとり生まれも育ちも、家族構成も趣味も考え方も、その全てが異なるものです。

当たり前の話ではありますが、全てが異なるとはいえ漠然とした常識的な範疇というものも存在します。

しかし多くの場面で個人による違いがあるにも関わらず、自分の尺度や視点を重要視してしまいがちです。
もしかするとその自分の尺度や視点が、逆に一般的ではない可能性があるかもしれません。

そういった部分でのお話です。

都会っ子

私は、いわば都心といわれる地域にて生まれ、そして今の今まで生活をしています。
どちらかといえば商業地やオフィス街とも呼ばれる地域です。

最近でこそタワーマンションなども建設され、住民は増えています。
私が幼いころには地元民も少なく、人影のないコンクリート建物を抜けては最寄のコンビニまで2kmほどを自転車で走ったものです。


私は「田舎」と呼ばれる牧歌的な雰囲気に憧れを抱いています。

たまにバイクで高速道路を走っていると、脇にある畑のにおいを感じることがあります。
臭いと思う方が多いかもしれませんが、私にとってはどこか安心するにおいなのです。

学生時代

勉強があまり得意とはいえなかった私ではありますが、何とか華の学生生活を過ごすことができました。
応援してくれた両親には感謝です。

さて、学校では地方から出てきた方たちも多くいました。
田舎というものに憧れを持つ私ですので、彼らに地元の良さなどを聞いて回ることが楽しくて仕方ありません。

自分が経験していないことに憧れを抱くのは不思議ではないでしょう。

ところが多くの方は、
「田舎の不便さを知らないから憧れてるだけだ!」
といいます。


確かに商店まで遠かったり公共交通機関の本数が少なかったりなどの不便さはあるかと思います。
しかしそれ以上に、田舎はとても魅力的なものだと感じてしまうのは私だけでしょうか。

非日常への憧れ

山間部に暮らす方にとっては野草を摘んだり、キノコを採取することは当たり前の日常かもしれません。
ライトを照らせば虫が集まって、遠くでは野生動物の鳴き声が響いているかもしれません。

海の近くであれば仲間と一緒に水遊びをしたり、夕方の食卓には自分たちで釣ってきた魚が登場することもあるでしょう。

一方で都会では交通網が整備され、店舗や施設でさまざまな遊びを楽しみ、食事や酒を満喫することもあります。

私たちは生活するその環境に慣れていくと、悪い点や不都合な点を考えてしまうような気がします。

身の回りにないモノに強い興味を持ち、憧れを抱くことも人間の感情のひとつだと思います。
「ないものねだり」といわれるかもしれません。

人の気配もなく、見上げれば視界いっぱいにひろがる満天の星空。
車のエンジンを止めれば、ただ波の音だけが響く夜道。

そういった自分には有難みを感じない何気ない日常は、きっと誰かにとっては宝物なのではないでしょうか。


自分の「尺度」や「視点」は。
自分にとっての「当たり前」は。
どこかの誰かにとっての「有難い」だということ。

その思いを胸にさまざまなものをを見ていきたいと考えています。

Fin.

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